プロフィール

はじめまして、うきこです。
私のプロフィールに興味を持ってくださり、ありがとうございます。

このブログでは

✔ネットサーフィンくらいしかしてこなかった
 PC経験ほぼゼロの人でも、
 ホームページが作れるようになる方法


✔専業主婦や個人事業主の嫁でも、
 夫の給料に依存せずに自分らしく月5万円稼ぐ方法


✔安い時給や人間関係で悩むパートには出なくて良い、
 ストレスゼロ生活


✔まだ小さい子どもたちとの時間もたっぷり取りながら
 自分の好きなことをしてお金を稼ぐコツ


など、

奥さんの立場になって、なぜか肩身の狭い思いがする生活から
どうしたら脱していくことができるのか?

についてガッツリ伝えていきます。


私は全くの初心者から独学でホームページ作成を勉強し、現在、ホームページの制作のお仕事や、ホームページを初めて制作する方のアドバイザーとして活動しています。

ホームページ制作の知識を学んだおかげで、個人事業主の夫の不安定な給料に毎月悩むことなく、在宅にいながらお金に困る毎日から脱却できました。

しかも、自分で稼ぐようになって、夫の仕事を適度にサポートすることで、夫にも感謝され、さらに夫婦円満になることができました。

今は大阪に住んでいて、4歳と8歳の2人のやんちゃなプリンセスたちの面倒をみながら在宅でお仕事しています。

1年前までは、経験もスキルも自信もなく、稼ぐことができない妻で夫からのプレッシャーに押しつぶされそうでしたが、

今は

◯企業勤めでもアルバイトやパートでもなく、自分の好きな仕事でお金を稼いでいる

◯自分も好きな仕事で稼げるので、浮き沈みのある夫の給料の心配しなくて良い

◯夫の店に立たなくても、大きな手助けができる

◯夫が平日休みの日は、カフェデートをしたり公園でのんびりバドミントンしたり夫婦円満

◯気持ちに余裕があるからこどもへのイライラが激減 こどもの話をニコニコ聞いてあげられる

◯ノートパソコン1台あればどこでも仕事ができる

◯うきこさんにホームページ作成を依頼してよかったと感謝されるので充実感を味わえる

◯こどもがやりたい習い事に思いっきり挑戦させてあげられる

と、このような生活に変わりました。自分らしく生きることを実感しています。


ホームページ制作でお仕事できるようになってからは、

「うきこさんだからできるんだよ」

「パソコンに強いからいいよね」

と言われたりしますが、はっきり言って全力で否定します!笑

ホームページ制作を仕事にする前までは、
自分に自信がなさすぎるタイプで、自己肯定感も低く、


今のように情報発信したり、個人で仕事を請け負うなんて
私にはハードルが高すぎて絶対無理!
と思っていました。

そして更に、ホームページ制作が大嫌いでした!(衝撃告白!笑)
絶対に仕事にはしないと決めていたほど。(本当です)

そんな私がどうしてホームページ制作に携わるお仕事にするようになったのか簡単に紹介させてくださいね。


1.自我を出せなくなった幼少期

今は多少マシになったように思いますが、
私はこどもの頃から自我が出せないタイプでした。

親が何か買ってくれるという時でも、
欲しいものがちゃんと言えないようなこどもでした。

欲しいものを言わないものだから、
「そう、何も要らないのね」となって
何も買ってもらえない。

でも本当は買って欲しいものはあるんです。
だから心中はモヤモヤモヤ。。。

そんな私のこども時代で
最も自我が出せなくて辛かった思い出は、
少女漫画が買えなかったこと。

ほら、皆さん小学生時代に
「りぼん」とか「なかよし」とか
買ったと思うんです。
(知らない!って方はすみません^^;)

他のお友達はみんな買ってるし、
その話で盛り上がっているのに、
私は買えないからその話の時は入れませんでした。

なぜ買えなかったのか。

それは私がとってもボーイッシュな容姿をしていたことに起因します。

髪が短くてひょろっとしているので(背は普通ですが)、
本当によく男の子に間違われていました。

小学六年生の時、
卒業アルバムで女の子だけの撮影をする際、
カメラマンさんに


「そこの男の子みたいな子」


と言われたのが今でも忘れられません。
すごく恥ずかしいと思ったことをよく覚えています。

それに加え、
スカートもあまり履かないこどもだったので、
たまに履くと友達のお母さんに、

「今日はスカート履いてるのね、珍しい~」

と囃し立てられて恥ずかしい気持ちになっていました。
(友達のお母さんも悪気はないのはわかってるんですけどね^^;)

そんな風に言われていたこども時代だったので、

「私は男の子みたいだから、女の子っぽくしないほうがいいんだな。」

「男の子みたいな容姿だし、可愛くないんだ。」

「自分のやりたいようにすると否定される。」

と無意識に思うようになり、
自分のやりたいことを人に伝えることができなくなって、
みるみる自我が出せなくなって行きました。

自分を否定することが当たり前になって、
自己肯定感もどんどん低くなっていきました。

そんなこんなで、
私は少女漫画が買えないこどもに出来上がってしまいました。

せいぜい買えて「ちびまる子ちゃん」。
本当は「ママレードボーイ」や「ときめきトゥナイト」が読みたかった。

友達が「ママレードボイ」や「ときめきトゥナイト」の話をしていたのが
すごい羨ましかった。私も仲間に入りたかった。

読みたくて読みたくて
本屋さんの周りをうろちょろしてみたり、
ちょっと手に取ってみたりもしましたが、



「どうせ私は男の子みたいだから」

「買ったら店員さんに変に思われそう・・・」

「男の子みたいなのにそんなの読むんだねって言われるよな・・」

とネガティブモードが発動。

結局レジには持っていくことができませんでした。

大げさに聞こえるかもしれませんが、
本当にできなかったんです。

そしてそんなこと誰にも相談できませんでした。
親にも、兄にも、友達にも。



いろんな感情をぐっと胸にしまいこんで過ごしていました。

そうやって自分の本当の気持ちを出さなくなると、
全てのことにおいて自分を出せなくなってしまい、
親に素直に欲しいものまで言えなくなってしまいました。

そして自我を出さなくなると、
自分を認めてもらうチャンスが減るため
自信も低下します。
(本当に悪循環w)

「どうせ私なんて」
「私のやることじゃないし」
「どうせ私がやってもうまくいかない」
「やりたいって言わなきゃいい」

こんな言葉が常套句w

この頃に習得した自信のなさは
どんどん蓄積され、
私の血となり肉となり、
大人になった今でも染み付いております。泣



2.コミュ障を発動した青年期

中学・高校は陸上部に所属していました。

進学校で勉強ばかりやっている子が多かったこともあり、
足の速さだけは学年で一番でした。(勉強は後ろの方w)


唯一自信が持てる足の速さを武器に、大学時代入った球技の部活。


ワクワクして行った入部して初めての日、
ウォーミングアップで直線ダッシュをすることに。
仲良くなった女の子と隣同士で走ることになりました。

余裕で勝てると思っていたのに、
最初から互角、競った結果最後抜かれてしまいました。

聞けばその子は、中学高校共に文化系の部活。
かたや私は中学高校6年間陸上部。

唯一誇れたものもズタズタにされて、
もうなんだか、いたたまれない気持ちになりました。



しかも友人は、はっきりモノを言えるタイプで
部でも一目を置かれていたし、
キャンパスが遠いため練習量も多くはないはずなのに、
レギュラーの座も射止めていました。

その上頭も良く、塾の講師のバイト先で彼氏もできる始末。笑

天は二物を与えず、というけれど、
そんなのは嘘だ。
努力では報われないものがある。

当時の私はそう思ってしまいました。

「どうせ私よりあの子の方が何でもできるし」
「私は彼女とは違うし」

練習もろくにしなくて、
ちゃんと競技に向き合っていないから自分はダメだったのに、

自分がダメな理由を、
自分より優れた人の「才能」で片付けてしまった。

ここでも劣等感をこじらせ、
プレーでうまくできないことを
克服する努力までしなくなってしまいました。

そして自信のなさをいいことに、
苦手なことからも逃避する癖が身につき、


人間関係でもちょっと苦手と思うと、
関わることを避けるようになりました。

部活の2年後輩で、プレーも上手、盛り上げ上手、
先輩にもちゃんと意見できる活発な子がいました。

私はディフェンス(守り)、彼女はオフェンス(攻め)で、
よくお互いマークする間柄だったのですが、
明らかに私よりも上手で、私はよく抜かれていました。

要するに私はしょっちゅう負けていたのです。笑

その点だけでもいつものように劣等感が噴出しているわけですが、
さらに彼女は


「もっと練習しようよ!」
「あの子は戦力的にはベンチだと思う」
「やる気がないなら帰っていいよ」

とはっきりものも言うし、努力家だし、熱い子で、
先輩後輩問わずブレない姿勢を貫き通す感じが
当時の私には「うっ・・・」となる存在で。笑


嫌いではなかったですが、とっても苦手に感じていました。

なので、仲の良い後輩は沢山いましたが、
その子にはどうしても話しかけられなくなってしまいました。
(とてもいい子なので、本当に申し訳なかったと今は反省。泣)

その頃から自分の居心地が悪いと感じると
閉店ガラガラとシャッターを下ろしてしまう、
いわゆる「コミュ障」を発症。

飲み会やコミュニティーみたいな色々な人が集まる会合は本当に苦手で、
できるだけ参加しないことに徹していました。

大学を卒業してからは一般企業に就職。

その会社はかなり華やかな先輩方が多い会社で、
若い社員たちがよく集まって飲み会をしていました。

新人はもちろん参加!

ですが。
私は行かない。笑

絶賛コミュ障発動中だった私は、
華やかな集まり、大人数、飲み会は苦手中の苦手。

ちょっとノリがチャラめの先輩たちがいるグループとか
居心地の悪そうな飲み会は逃げたくなっちゃうんですよね。

ということで、


「ちょっと今日は残業で・・。」

「その日は実家から親が来るので・・。」

など見え透いた嘘をついて、
新人絶対参加の若手飲み会に参加しないという
個人プレーを炸裂させておりました。笑

その割に、同郷のおじさん社員と飲みに行ったりはしていて
かなり変人だと思われていたと思う・・。笑

とはいえいろんな人がいる会社だったので
私のような人間を理解してくれる先輩もいたし
同期とも仲良くやっていたので、
それなりに楽しく仕事はしていました。


ただ、仕事をしていく中で、やりたい仕事が変わっていきました。


3.想定外の妊娠により、急遽フリーランスへ

当時私は、
一度購入していただいたお客様にDMを出したり
リピート購入してもらうためのリーフレットを作る部署に所属していました。

自分の担当商品のDMを作る場合、
印刷会社の人と打ち合わせ

後日印刷会社のデザイナーさんが作ったラフをチェック

修正してもらって、完成。

といった流れになるのですが、
私は自分の業務のことよりも、

「自分でDMを作りたい!デザインの仕事がしたい!」



と思うようになりました。


というのも実は、
私の父がDMやパンフレットを制作するデザイナーで
小さな頃から父の事務所に行っては
コンピューターをいじって遊ばせてもらっていました。

(ちなみに、
ポスター・パンフレット・チラシ・DM・名刺など、
紙媒体のデザインを「グラフィックデザイン」と呼びます。)

しかしそれまでは、
身近すぎることもあってか
父と同じ仕事をしたいとは全く思ったことがなかったんです。

大学も普通に文学部。
しかも部活三昧の日々。
デザインの「デ」の字も考えたことがなかった。

そんな私が
仕事でDMやチラシのデザインに携わったことをきっかけに、
グラフィックデザインへの気持ちが爆発的に増長。

その熱い気持ちは止められず、思い切って仕事を退職し、
新たにグラフィックデザインの専門学校に通い始めました。

専門学校を卒業後は
しばらくは父の会社でアシスタントをやっていました。

先輩社員さんのお手伝いに奮闘するも、
それでも楽しく仕事もできて充実していました。

が、人生って何があるかわからない。。。

父の会社が経営悪化のため、父は会社をたたむことを決断。
私は急に無職に。

と同時期、職を失った私にさらに追い打ちをかけるように、
なんと、妊娠が発覚!

彼とは結婚の約束はしていたものの、
妊娠は想定外!笑


つわりにも悩まされるし、
再就職しようと思っていたのに、
妊娠している私は全く仕事も決まらない。

「つわりで不定期に休まれたらちょっと困るので・・・」
「すぐ産休になっちゃうねーハハハ!」
「こどもってすぐに熱出すからねぇ・・・」

と、これでもか!というくらい
こどもがいる女性の就職の難しさを思い知らされました。


こうなったら自分で稼ぐしかない!

そう思った私は、フリーランスで
グラフィックデザインの仕事をすることにしました。

が、甘かった。
甘すぎました。

仕事がない!!!

そんな簡単に仕事は転がっているわけではありません。

しかも私、そもそも自分に自信が持てないタイプなので、
自分を売り込むのが大の苦手。

ココナラのようなスキルマーケットへの登録も躊躇する始末。

「自分できますよーとか言えないし」
「知らない人から依頼を受けるなんて怖すぎ」
「満足してもらえるものは作れないと思うから」

と、何かしら言い訳して、行動せず!

だから基本「待ち」の姿勢しかでできない。

イコール、無収入( ;∀;)

お子も生まれるしすぐにでも稼がにゃならんのに
お金は減って行くばかり。泣

一般企業に勤めていた頃は後ろ盾もあって
自分を売り込むなんてことはしなくても、
毎月ちゃんとお給料ももらえていたから、

フリーって厳しい。。。orz

と、現実を知りました。
ここから自信もお金もない地獄の日々が始まるのでした・・・。


4. 夫からホームページを作るよう指令を受ける

常にお金がない地獄の日々の中、
夫は激務な安月給ながらお勤め、
私は節約節約でなんとか食いつなぎ、
ついに娘が誕生。
(地獄の日々に天使が舞い降りたと本当に思ったw)

娘が誕生して半年後、
夫はかねてから希望していた
自分の整体院をオープンすることを決意しました。

お金はない!

けれど彼の夢だったし、
激務の安月給よりも
長期的にみれば心もお金も安定するだろうと思い、
私も応援することにしました。

とはいえ娘も誕生したし、
ますます家計は逼迫してますのでw、
開店資金をかなり抑えて抑えて抑えて、
なんとかオープン。

晴れて(?)私は個人事業主の嫁となりました。

お店をオープンするということで、
私はここぞとばかりに
夫の店のロゴデザインやチラシ作成に奮闘!

普通、ロゴデザインやチラシや名刺の作成は外注だし
結構なお金が発生するのですが、
そこを妻である私がやればお金もかからない!

夫も喜んでくれるし、なんだか誇らしい気持ちに!

「私でも役に立てることがあった!嬉しい!」
と思った矢先の出来事です。

夫がこう言ったのです。

「次ホームページ作って欲しいんだけど」



・・・・・いやいやいや!


私はチラシや名刺は作れますが、
ホームページを作れるわけではないのです。


グラフィックデザインのスキルでは
サイト設計もできないし
おしゃれなホームページも作れません。


私「いやいや、ホームページはジャンルが違うからできないよ」

夫「でもやってみて。金ないし、頼めないし」


・・・・・・・・・・・・・・はい( ̄▽ ̄;)


今のお金のない現状を考えると
やるしか・・・ない・・・!

そこから私のホームページ制作の日々が始まりました。

全く知らないhtmlやらcssを調べまくる日々。

意味はわからないけど、見よう見まねでやってみる。
やるしかないという状況はある意味無敵です!笑

最初はわけがわからなくても、
死に物狂いでやっていくと少しずつできるようになるもので。
3週間ほどでなんとかそれらしいものが出来上がりました。

全然意味がわからないところから
よくここまでできたな、私。
自分で自分を褒めてあげたい気持ち(´;ω;)


どれだけ褒めてくれるだろうと、
ウキウキで夫に見せました。


夫「おお~良い感じ。でもここにやっぱりサイドバー入れられる?」


えっ?(^^;;;;;;

あなた簡単に言いますけど、
サイドバーの入れ方なんて知らんので、
またかなりお時間頂戴いたしますわよ???(^^;;;;;;




でもやるしかない私は、
悲しみと怒りを覚えつつも、笑
死に物狂いで一から調べ直して、
サイドバーが入るように設計を変更。


ようやく完成!と思ったら、次、


夫「これさースマホ対応になってないから、スマホ対応にして。」


鬼!!!!!・゜・(つД`)・゜・




もはや苦行!!!


素人に容赦ない要求をする夫を
その時は静かに恨みましたが笑、

ハードルの高い試練は、
乗り越えるたびに私をスキルアップさせてくれました。

スマホ対応に成功した後は
全く違うホームページに作り変えろという指令を受け
(めっちゃ鬼www)
それもなんとかかんとか乗り越えた私は、

気がつけば、

「ホームページを作れない人」

から

「簡単なホームページなら作れる人」

に変わっていました。

夫の幾度とない無茶振りで、
逆に成功体験を何度も味わうことができたので、
この体験はとても自分に自信がつきました。

と同時に、
夫の幾度とない無茶振りのおかげで、
絶対に仕事にはしない!
と固く決心もしました。

ホームページ制作ってしんどすぎ。

本当に本当にめちゃくちゃ苦労したので、
これだけは揺るぎない思いでした。


しかしそんな私にまた新たな風が吹きます。

何ヶ月にも渡るホームページとの格闘が落ち着いてきた頃、
かなり衝撃的な出来事に遭遇してしまうのです。



5. 誰でもホームページが作れるワードプレスとの出会い

夫のホームページの改変も落ち着いてきた頃、
美容師の友人もまた店を開業することになりました。

そんな彼も夫と同じく
「ホームページって作れるの?」
と私に聞いてきました。笑

(ほんと簡単に言うよねーーー笑)

「まぁ夫の作ったから作れないことはないけど・・・」

と言ったものの、
全く気が乗らず。

夫の時のようにまた同じように変更の連続で
しんどい思いをするのではないという
嫌な予感がしたからです。

でも友人の願いだし、
開業祝いということで
作ってあげることにしました。

しかし私の嫌な予感は的中!笑

彼も夫と同じくこうしたいああしたいという要望が多く、
やり直しのオンパレード!

そりゃまあみんなそうだと思うんです、
自分のお店のホームページだしね!
こだわりたい気持ちはとてもわかるんですが、

作る方は、まじしんどい!(T_T)

ホームページを一から自分で設計して作る場合、
やり直すとなると、また一から設計を考え直すので、
変更を言われる度に絶望的な気持ちを味わうわけです。

個人でお店をする人ってほんとこだわり強いよねーーーww